F-105's Page
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↑ ジョージ空軍基地に着陸する562d TFSのF-105G/62-4427。左翼には、AGM-45 シュライクミサイルのダミー弾を付けている。このミサイルは、AIM-7 スパローミサイルを改造したもので、シーカーを対レーダーサイト用に改造してある。射程は、AGM-45Bで40km程度で、弾頭の威力不足が問題となっていた。また、敵レーダーの周波数に対応したミサイルの型式を幾つも造らねばならないなど、臨機応変な部分に欠けていた誘導弾で、後にAGM-88A Harmが、これに取って代わった。
F-105F/G (1973~1980)
1980年の撮影行で最後に立ち寄ったのが、当時アメリカ空軍戦術戦闘航空団(TAC・・現ACC)で唯一F-105を使っていたジョージ空軍基地だ。私と友人は、この時本来はオレゴン州ポートランドでF-101を撮影する予定であった。しかし、オレゴンに行く途中で遭遇したネリス空軍基地に数日を費やした為、予定を変更。ネリスでの撮影後 直接帰国便の待つロスエンジェルス空港へ戻る途中に、この基地に立ち寄ろうと言う事になった。厚木の先輩達もここへは何人かが来た事があり、柵外から撮れることは聞いていたので、気軽な気持ちで基地周辺に近寄ったのであるが、結果F-4Eのページでも書いた通り、えらい結末になって退散することになる。ただ 1992年に閉鎖された基地であり、我々が立ち寄った1980年にF-105はこの基地から消えてしまったので、当時の数枚の写真が証拠程度に残っているだけだが、此処にUPしていく。(2023年11月 記)
↑ ジョージ空軍基地にR/W-17に着陸する562d TFSのF-105G/63-8328。4000m級滑走路を使う事が多かったが、R/W-17/35のこのランウェイで、当日は南方向からの風が吹いていたようである。
↑ ランウェイエンドのピン抜き場でF-4Eを撮影していたら、F-105Gがオーバーヘッドで戻ってきた。
35th TFW  / George AFB
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↑ 1980年9月にジョージ空軍基地内で撮影されたF-105G/63-0276。最後までF-105Gを使った561st TFSか562d TFSの所属と思われるが、資料によればジョージのF-105Gはその末期に殆ど562d TFSに集約されていたようで。562d TFS所属が正解らしい。この時期F-105F/Gに”GA”のテールレターは、無くワイルド・ウィーズルを示す”WW"のレターのみとなっていた。
↑ ご覧のようにカルフォルニア州のビクタービルと言う場所は、砂漠地帯で昼夜の寒暖差が激しい場所で、我々が立ち寄った3月初旬で、日中はかなりの暑さであった。1992年にジョージ空軍基地が閉鎖後、現在はサザンカルフォルニア物流空港として民間機の運航と、廃棄された旅客機の墓場としてスペースを提供しているそうである。モハーベと同じで,乾燥が金属の劣化を多少遅らせるようである。
↑ 基地の周辺道路・・・と言っても砂利道で狭い道だった記憶しかない。そこからは、基地の様子が窺い知れたのである。ご覧のように”WW”のテールレターを付けたワイルド・ウィーズルのF-105F/Gが駐機していた。既に主役はF-4E/Gに替っていたが、未だ相当な機数がいたように感じた。ここジョージ空軍基地は、元々陸軍航空隊が爆撃任務に就くパイロットや爆撃手を養成する為に1941年に建設した基地で、ビクタービル・アーミーフィールドと呼ばれていた所である。第二次大戦後、一時閉鎖されたが、朝鮮戦争勃発後はB-29の要員養成の基地として再び復活している。
↑ ラスベガスからロスエンジェルスに向けて、フリーウェイ15号を南西に下ると、やがてバーストローと言う街を抜ける。街の先の砂漠地帯を更に進めば、ビクタービルと言う小さな町に入ることになる。この町から北西に進路を変えて、更に9Km程先にこの基地は存在した。ワイルド・ウィーズルの基地と言われ、最新のF-4G等も配備されていたので、基地周辺の警備は厳しかったのであるが、それとも知らず、過去に先輩方が周辺道路からタキシングやピン抜きを撮影していた為、我々もそれに挑戦してみようという事になった。